
たまにご相談というか、ご質問を頂くことがあり、私なんぞがお教えできることは知れていると思いつつも聞かれたことに対してはできる範囲で答えるし、必要なら調べたりもしている。
そもそも「写真」というものに答えは無いのであって人それぞれやり方が違う。これは料理と同じで最終的には「自分の型」を作るしかないと思っている。端的に言えば塩と砂糖を入れる順番がどっちが先であろうと結果は同じなわけで、入れる順番はそれぞれの好き勝手にやればいい。
写真も同じ。

それでときおりある議論がどうやったら「写真が上達するか?」とか「カメラが上達するか?」という話。
この「写真とカメラ」だとその言葉の意味が異なる。
経験則では「カメラ」という言葉を使う人というのは初心者に多い。別に初心者をバカにしているつもりでもなんでもなく、客観的な事実としてそういう傾向がある。それで「カメラ」を上達させたいというのならまずは説明書を読むしかない。
これで相当カメラは上達するはずだ。また、「どのカメラを選べばいいの?」と聞かれることもあるのだがこればかりは好みの問題なので答えようがない。強いて言うなら自分の好きなテイストで撮っている人と同じカメラを買えばいい、ということくらい。それ以上に言うことなんて無い。
それで「写真が上達したい」という問いに対しては、そもそも写真に「上達」という概念をはめ込むのもおかしいんじゃないかと思っている。とくにここ最近そういう考えで落ち着いている。

そもそも写真の善し悪しなんて定量化できるわけもなく、実質的には撮影者以外の第三者による「多数決」で決まるものだ。写真コンテストで優勝したところそれで一生食えるわけもなく、そもそも審査員の胸先三寸で決まる程度のものでそれは「多数決」ではない。

いろいろな人の写真を見て、同じように撮りたいと思えばそういう努力をすればいいわけであって、そういう必要が無いならそんな努力をする必要はない。すなわちその人にとってすでに「上達域」なのだから。
それに人様の写真に対してあーだこーだ言うのも筋違いだと思っている。私が他人の写真を見る目的は「畜生!良い感じじゃねーか!」と感じた写真の技術を盗むためだけであって、別に批評も批判もしない。心の中で思っていても直接本人に言わない。言ったところでそれは私の好みなのであってそれが絶対的に正しいなんてことはありえない。
簡単にまとめるとカメラは上達させることはできるかも知れないが、写真を上達させるとなるとちょっと面倒ですよ、というお話。
私自身、写真が上達したいと思って撮っていないし、上手いかと言われれば実際のところ下手くそだよな、と思っている。必然的に作風というかテイストは常に変化するのだがそれは上達が目的なのではなく、「こういう撮影結果になるためには」ということだけだ。
最新の一枚が最良の一枚、であるために知恵を振り絞っている、でも上達したいとは思ったことはない。

