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健全なオーラを出す努力

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今週は二日間ほど朝の「東西線(東京の地下鉄の一つ)」に乗る機会があった。

この電車は何度か利用しているが朝の通勤ラッシュ時に乗るのは初めてのことである。

そもそも都内の電車というのは朝のラッシュ時は混んでいる。混むのは最初から分かっているので利用する際には時間をずらすのだがそれでもそれなりに混んでいる。

恐らくラッシュ時の混んでいる電車が好きだというのはよほど特殊な嗜好か何か「目的」のある人だけで一般的には嫌いな人が多いだろう。

昨日、東西線の車中でなぜ人は混雑した電車が嫌いか?なんてこと考えていた。

私が思うにただ「人が多い」というのは理由として浅い。人が多いだけなら行楽地というところは人だらけだし、そこへ行けば人がたくさんいることを誰しもが知っており、それでも皆足を運ぶ。

ちょっと例えとして違うかも知れないが「渋滞」もこれに近い。渋滞が嫌であれば日程をずらす、時間をずらすなどやりようがあるはずで、誰しもがそんなこと分かり切っていても渋滞が無くならないというのは渋滞に何かしら魅力があるのかも知れない。そうじゃなければわざわざ渋滞に挑むというのは単なる愚か者でしかない。

さて、話を電車に戻そう。

それで周囲を見渡すとこの東西線という電車は私が普段利用している田園都市線と比して客層がオッサンだらけであることに気付いた。いやいや、何も私が若いということではないし、私も「年齢」という客観的なレギュレーションでは十分「オッサン」であることは否定しない。

が、それでも言おう、オッサンだらけだ。

中には私よりも全然若い人もいるだろうと思うのだが、なんというか車内の空気が「重い」のだ。

この空気の重さはいささか異常ではないだろうか。特に普段通勤電車などに乗らない私のような人間にはこれほど異常な空気を感じる場所というのは皆無なだけに不快度MAXである。前述したが単に人が多いだけなら他にもあるはずだがこの空間は異質である。

それで気付いたのだがこうした「異質さ」は個々人から発せられるオーラに原因があるんだろう。

殺伐として、秩序があるように思えるが一触即発な緊張感。

すべての人がマイナスオーラを発してるとは思わないのだが、少なからずそうしたオーラを発してる連中によって車内の空気がスポイルされている。

これから会社に行って、作業して、昼飯を同僚と食べ、午後はうたた寝しながらまた作業して、夕方になればいつもの電車に揺られて帰る、そんな一日が予測できているからだろう。変わらない日常に不満を持ち、増えない給料に将来への不安を覚え、理不尽な上司に憤りを感じつつも黙っている。

確かにそんな日々ならマイナスオーラしか出ないけどねぇ。。。

でもさ、みな同じだと思うのよ。要するにどういう「心構え」で日々生きるかでしょ。他力本願で何かが変わるのをマイナスオーラでアピールすのか、健全な心構えで周囲にプラスのオーラを発し続けるか。むろん後者が良いに決まっているし、人はそういうところに集まるわけだし。

なので通勤電車が不快な空間であるというのは車内に充満しているマイナスオーラに原因があるんだと思った。

正直なところ私の周囲には不思議なほどにそういう人がいないので全く気にもしなかったのだが、こっちのほうが現実なんだと思う。

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こうして言うのは簡単なんだが自分自身が周囲に対してマイナスオーラを発していないか気になった。

いかなる状況でも健全なオーラを発する努力を怠ってはいけない。

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