facebookやHOSONISMのfacebookページでも紹介しておりますが、ここのところマーケティングをかねてfacebook上にある「My Japan」というコミュニティに過去の写真をアップロードしている。
ここのコミュニティは世界中の人たち800人弱が参加している、というか「いいね!」を押している。当然プロのカメラマンからアマチュア(この線引きには疑問があるが)、または写真になんて全く興味の無い人もいる。
それでここに写真をアップして「いいね!」を多く集めた写真は額装されて販売される。収益はすべて東北大震災の義援金になる。ただ、この「いいね!」がどの写真も集まらない(笑)
見ていると「5人」集めるとそれは「大人気」くらいのレベルであるがゆえにアップロードする方も暖簾に腕押しみたいな状態。またアップロードしている人もいない。
そういう環境だとやる気になるのが私の性分なんだがバカみたいに写真をアップロードしまくっている。一時間に一枚くらいずつ。恐らくアップロード数ではダントツだろう。
今のところ主催者側からクレームは来ていない(笑)
するとたまに外人フォトグラファーがドカドカっとアップするので面白い。そうされるとさらにガンガンアップロードして煽ってやるわけ。でもやはり盛り上がりに欠ける。
それで面白いのがだいたいこういう場合(一般的な写真コンテストも含めなんだけど)、「一点勝負」が多い。また、「一発ギャグ系」も散見される。別にこれはこれで悪くはない。
一方、私の場合は「量重視」なのでこういう一点勝負向きではない。狙おうと思えば撮れるのだが、そういう写真というのは世の中に溢れているし、それゆえ私の中の優先順位はさほど高くない。
それで前述した「MyJapan」というコミュニティの写真を見て、私の写真と私以外の人の写真を比較して見ると面白いと思う。
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実際にはこう書いても誰もやろうとしないな(笑)
誰もやらないならば、サクッと書いてしまうと私の場合は(大きな概念での)ストーリーを意識している。「ストーリー」と言ってもそこに秩序だった順番があるわけでもない。順番があるとすれば撮ったときの「時間軸」くらい。撮った順番に並べていくのが基本。
また、撮るときにテーマなんて考えて撮っていないのでそこにある「テーマ」は完全に後付である。撮るときは余計なこと考えない。そもそも考えるだけ無駄。考える暇があるなら撮れ、ということである。
ストーリーやテーマは後付で問題ない。ましてや依頼されたものならいざ知らず、自分の作品作りなのだから細かいこと考えない。あくまで柔軟に。
それで撮った後に何度も見返してテーマを見つける。さほど大きなものでない限りだいたい撮った「街」で括(くく)るのが常套手段だが、それでもやはり色味やレタッチはその「街」を自分の中で一度消化してからやっている。この「消化作業」が難儀で、事前に情報を持って撮る場合と、情報無しで撮る場合があり、それだけでも違う。あと、撮ったあとに改めて調べてみると印象がガラッと変わってしまう場合もある。
あと、括りが曖昧な場合でも複数の組み合わせで「共通点」を探す場合もある。自分で撮った写真の共通点探すということに自己矛盾を感じるが、あくまで直感で撮ったものなので、PCで見るまで分からない。そして何かしら「自分が自分自身に分かる言葉で定義」することで構成を詰める作業が始まる。
そして最後に「質×量の法則」をはめ込んでやり、物足りなければ量で調整し、全体構成のバランスを調整してやる。「質」は撮った時点で決定されるが「量」は撮った枚数が多いほど全体調整に使うことができる。量にこだわるのにはこういう理由もある。
最初はこのやり方に違和感があったのだが、これ以外に全体構成を成立させる手段も思いつかず、いまでは「これでいいのだ!」とバカボンのパパ状態。
別に答えがあるものでもないし、違うな、と感じたら変えればいいだけの話(この考えに至るまでにずいぶんと時間がかかったけど)。
そしてこうしたプロセスの中で自己否定と自己肯定を繰り返して仕上げていく。
意外と適当に見えてこうしたプロセスを経ているのです。
いずれにせよすべてこのパターンではないのだが、ここ2、3ヶ月はこの方法が多い。
(おまけ)
今日の写真は今年三月に撮った「築地」である。ここ数日「MyJapan」にはこれらの写真を上げている。ただ、三月当時とはコントラストや露出量など再度見直している。あの時と今ではやはり自分の感性の変化に気づく。
っていうかヘタクソな写真撮ってるよな、コイツ(苦笑)

